人生ラクに生きようよ

備忘録的に。

日本中から叩かれた人の生き様その2『FAKE』

交響曲第1番《HIROSHIMA》』

この曲名を忘れている人も、佐村河内守、と聞けばピンとくるでしょうか。

耳の聞こえない作曲者として脚光を浴び、その後のゴーストライター問題で大炎上したあの長髪の男性です(記者会見時は短髪)。

 

そんな佐村河内守氏を題材に、森達也氏が撮影したドキュメンタリーが『FAKE』です。

 公開当初は非常に話題になり、私も満席状態の劇場で観ました。

ドキュメンタリー映画は総じて円盤化されないことが多いですが、これはバッチリ市販されているんですよね…ということは、佐村河内氏にとっても満足のいく作品だったということなのでしょうか。お金に困っているのかもしれませんけど。

 

憎めない男・サムラゴーチ

 

佐村河内氏といえば、世間一般には袋叩きに遭っていた記者会見の印象が強いかと思いますが、このFAKEを見れば段々と彼が愛おしくなってくることは間違いないです。

豆乳を一気飲みし「豆乳が好きだから」と笑顔で語るゴーチ。テレビ番組のディレクターに乗せられて軽快に頬をポコポコ叩き出すゴーチ。ピアノが弾けないことを疑われてキーボードを捨てた理由を聞かれているのに(そして耳が聞こえなくなった怒りと悲しみで捨ててしまったという設定なのに)、「部屋が狭いから」と答えてしまうゴーチ……

被写体がカメラを意識しているドキュメンタリーほどつまらないものはないと思いますが、その点で言えばこの『FAKE』は合格だといえます。自然体な佐村河内守の姿を存分に楽しめるので(ついでに猫の自然体な様子も楽しめます)。

 

佐村河内夫妻の愛の軌跡

このドキュメンタリー、森達也監督は撮影していくうちに、ゴーチの奥様への興味が膨らんでいったんじゃないかなと思ったりします。

奥様の素性については描かれていませんが、ゴーチと結婚したことで、実の両親とも絶縁に近い形であるようです。ゴーチのことは本当に愛しているようで、あんな騒動があっても変わらず(尚更?)、そばで支えているように見えます。

例えば、ゴーチが外部の人と会話をするとき、ゴーチは相手の言葉が聞こえないので、奥様が手話で通訳をしてゴーチに伝えなければなりません。つまり奥様がいなければ(手話通訳の人がいれば別ですが)、ゴーチは外部の人と会話ができないということになります。

一体ゴーチの耳はどれくらい聞こえているのか? ということは、このドキュメンタリー内でも特に明らかにしてはいません(個人的には、手話通訳が必要なほど聞こえないわけではないんじゃないかと思ってます)。果たして奥様はどう思っているんでしょうか。洗脳に近いようにも見えますが、お互いに愛し合っているのであればそれはそれで幸せなようにも見えるし、奥様も共犯であるのだとすれば、それはそれですごいとも思うし。

 

 

佐村河内守×新垣隆のビジネスモデル

 

映画の中で、「うちの番組にぜひ出て欲しい。絶対ふざけた内容にはしない」とテレビ局の人がゴーチを尋ねてくるのですが、ゴーチは出演を断ってしまいます。結局、その番組には新垣隆氏が出演するのですが、お笑い芸人に面白おかしくこの騒動をいじられている様子を見て、ゴーチは腑に落ちない様子なんですよね。それを見た森達也監督は、「佐村河内さんが出演していたら違った内容になっていたと思う。テレビには信念なんてなくて、素材に合わせて内容を考えて作っているだけ」というようなことを言って諭します。

ゴーチはメディアにバッシングされて傷ついている様子ですが、メディアを利用していたのもまた、ゴーチなんですよね。

誰もがおわかりの通り、音楽で食べていくのはひっじょーに難易度の高いことです。

音楽で食べていこうと思う時点でそれなりの才能はあるわけで、そもそもほとんどの一般人の耳では音楽のレベルなんて大してわからないので。それこそ新垣隆さんがそうであったように、優れた能力があるからって有名になれるわけじゃないんですよね。

そうなってくると必要なのはブランド力。それは家柄であったりルックスであったりしますが、障害を持っている、ということもそれに含まれます。古くはベートーベンや宮城道雄のように、障害を持っている音楽家というのは結構いるんですよね。

そういった意味で言うと、この佐村河内守×新垣隆によるビジネスモデルは、これからも起こりうるのかもしれません。

二番煎じする方々は、本当に障害がある方に参画してもらうことと、周囲は口が堅い方で固めること、くれぐれも金銭面で揉めないこと、この3点に気をつければうまくいくのではないかと思いますが、果たして。