人生ラクに生きようよ

備忘録的に。

日本中から叩かれた人の生き様その1『小保方晴子日記』

小保方晴子さんを覚えていますか。

「リケジョの星」として一躍時の人となり、まもなくして論文不正が発覚、日本中から大バッシングを受けた女性です。

そんな彼女、2つの著作を持つ文筆家でもあります。一作目の手記、『あの日』はベストセラーとなりました。 

かなり主観的な内容で(手記というのは概してそういうものかもしれないが)、新たな事実は何も浮かび上がらず、決して世間の評判は良いものとは言えませんでした。

 

そこで個人的におすすめしたいのは、二作目の『小保方晴子日記』。

たかが”日記”と侮ることなかれ。日本中からバッシングされた一人の女性が一体どのように生きていたのか、克明に記された資料として一読の価値があります。

 

あの日あの時小保方さんはどこで何をしていたのか(神戸〜温泉旅館〜入院〜引越し〜京都)

 

タイトルの通り、「小保方晴子さんの日記」以上でも以下でもないという内容の本なのですが、時系列的には『STAP細胞はありまぁす会見』の後、一体小保方さんはどこで何をしていたのか、ということが記されています。

 

Wikipediaにも書かれているように、その後小保方さんは理化学研究所を退職し、早稲田の博士論文を再提出するも学位取り消しとなって絶望し、手記を書いて出版し、ホームページを立ち上げ、瀬戸内寂聴と対談します。これら一連の出来事を、神戸の自宅から温泉旅館、病院、親友さんが見つけてくれた物件、とロケーションを変えつつ、文字通り死に物狂いでこなしていく様子が描かれています。

 

日本中からあれだけバッシングされたら、いっそ海外に行ってしまった方がラクなのでは、と思わずにはいられませんが、小保方さんはずっと日本で過ごしていたということがわかります。温泉旅館のスタッフから「あなた綺麗ね。幸せになってね」「僕が生きてるうちにまたきてね」などと意味深な言葉をかけられている小保方さん。室内でもマスクを外せない状況だったという彼女、当然偽名で宿泊していたのでしょうが、仲居さんや社長さんはその正体に気づいていたのかもしれません。

 

名前についても触れられており、名乗るのが怖くて物件やインターネットの解約がままならず、保険証を出すのも怖くて自由診療の歯医者を探す様子が描かれる中、「小保方晴子の存在を私まで否定したくない」と、改名を拒んでいます。改名した方が生きやすくなりそうなのになあ、と安直に思う一方で、「私は何も悪いことをしていないのに」という当人の気持ちはわからなくもない。それにしても、お姉さんから「名前がバッチリ書かれたものをそのまま捨てないでよ」と叱られるシーンは切ないです。

 

気まぐれ先生、梨狩りさん、親友さん、デル先生、ベロニカさん、原宿ロールさん

 

小保方さん以外の人物のうち、実名があげられているのは弁護士と寂聴さんくらいで、その他の人物は彼女がつけたニックネームで登場します(決してムーミン谷の仲間達の名前ではありません)。そのネーミングセンスはかなり独特で、うっすらと狂気すら感じます。

 

特筆すべきは「親友さん」で、性別がわからないように描写されていることから、恋人なのでは?とも思える人物です。物理的にも精神的にも、肉親以上に小保方さんを支えている存在。小保方さんは、二人のお姉さんや姪っ子甥っ子とは頻繁に会っていますが、両親とは会っていないと綴っています。ご両親との関係性はわかりませんが(関係が破綻しているわけではなさそう)、実家に帰るという選択を避けた小保方さんのことを支えた「親友さん」の存在がやけに気になるとともに、この人がいてくれてよかったなあと他人事ながら思ってしまいました。 

 

小保方さんの罪と罰とは

 

あれだけのバッシングを受けて果たしてメンタルは崩壊しないのか、というのは誰もが疑問に思うことですが、小保方さんは常時精神科に通い、服薬をし、時には入院もしています。「鬱とPTSD」との診断を受けているシーンもあります。

 

全体を通して食にまつわる描写も多く、全く食べられずに激痩せしたり、お菓子やパンを大量生産したり、満腹なのに苦しくなるまで食べ続けたり、と明らかに精神が安定していない様子が見て取れ、読んでいて苦しくなる描写もあります。

 

読み終わった後、「そういえば小保方さんって何をやらかした人なんだったっけ?」と誰もが一度は思うのでは? この日記に描かれた境遇が彼女への罰だとするのなら、彼女が犯した罪とはいったい何だったのか…?

 

終盤、出版社に勧められるがままに小説を書きながら、支援者と思しき人を頼って京都へ向かう決意を固めたところで、この日記は終わります。その後の彼女の境遇は週刊誌にスクープされたこともありご存知の方も多いと思いますが、どうやら研究とも文筆とも縁のない世界で、幸せに暮らしているようです。

きっと暗闇の中にいた時の彼女の生きるよすがであったであろうこの日記が、彼女の意思によって絶版になる日も近いのかもしれないなあと、幸せそうな彼女の姿を見てぼんやり思いました。